記憶

2010年02月12日

ジェノベーゼ。記憶と空気

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 金曜なのに講義がない、とは何ともさびしく手持無沙汰なかんじ。せいきょうから注文品を受け取り、お昼に、ジェノベーゼソースのスパゲティ(トマトとモッツァレラチーズを入れて)を作って食べた。おいしい。けれど、国立のじゃらんじゃらんで買ったTさんお手製の期間限定のジェノベーゼソースが懐かしい。あれは本当、美味しかったなー。
 こないだ、夜になってから急に部屋の片づけをして、キッチンに料理本だけのコーナーを作ったら何だか部屋の居心地が良くなった。スペースをどんどん移動して、バッチコーナーもできたし。で、何か、こういう作業していると、この部屋に引越してきた時のことを思い出した。何にもない部屋にどんどん運ばれてくるわたし達の荷物。8月のクソ暑い日だった。なかなか片付かなくて、だけど早く住み心地のいい部屋にしたくて、へとへとな身体を動かし続けた。2人とも疲れ果てて、お腹もすいて、買い出しにも行ってなくて、結局ピザを注文した。Lサイズだ。しかもコーラまで飲んだ。そういう自暴自棄な感じが楽しかった。と、いう思い出話をして「あーあったねー!懐かしいねー」って笑顔でやっちゃんに言われた時、わたしはふと思ったんだ。
 あ、パートナーを失う(特に死別)っていうのは、こういう話ができないことなんだ、って。わたしとこの人の間でしかわからない、あの空間のあの雰囲気、それを共有して、一緒に懐かしがることができないってことなんだ・・・。その考えはいきなり降って来た。
人が死ぬことはとても自然なことで、それ自体が悪いことだとかいうわけではない。けれど、残された者はつらく切ない。それはきっと、こういう他愛ない「共通の空気」を失うことなんだと思う。長生きの哀しみはそこにあるのかもしれない。誰も、もう触れることのない、静かな場所に、詰まった思い出、本当に些細なことだとしても大切な記憶、そういうのをしまい込んで、本当の意味で、もう二度と出せないってことなんだ。
 そして、そういう大切で些細な記憶っていうものを、こっそり宝のように隠し持っている老人、っていうのも悪くないな、と思った。


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2010年01月27日

忘れ物

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昨日のランドマークからの景色は本当にすごいものだった。今朝はずっと放心しているような感覚。久々に歩きまわった疲れが出てるだけかも。窓の外は青空だけど、時間のずれを感じる。ずっとずっと前の空を見ているようだ。何だか最近そんなんばっかりだ。

やっちゃんは弁当を忘れて出勤。お昼に取りに来るとメールがあった。
わたしは、家事をして、そのあと少し勉強に取り組むが眠気が出る。あまりに暖かい部屋のせい。エスさんから借りたGOING UNDERGROUNDを聴く。何だかこれまたうきうきするようなメロディで。何故か、高校を卒業した年の春を思い返す。春。桜。新しい暮らし。学生といえど大人として存在するあの瞬間。ガッコーで煙草まで吸えるという開放感。何だったんだ。何が不満だったんだ。

勲章のようにしていたけれど、いつもそこに舞い戻る。オザケンを歌いながら自転車に乗って、この世の自由をすべて手に入れたような顔して。浅はかで、涙もろくて、一生懸命で、手のつけられないバカ。
だけどあれはそんな時代だったんだ。
必要だったんだ・・・。

後悔もない、汚点もない、曇り一つない人生に何の魅力があるか。恥と悔いと痛みの記憶。なんかそんなものが愛おしいようだ。

頭がぼーっとする。
amazonから本が届いた。


gofuchudiary at 11:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年12月19日

夫のいびきを聴きながら

 今朝は、ひとり起きてパソコンに向かってます。やっちゃんは1週間ぶりの休みで疲労がたまっていて、新聞読んだあとに二度寝中。
 わたしは昨日で昼間の哲学講義が終わって冬休み。次いつ行けばいいかわかんないや(笑)!友達いないし。
最近、いろんなことが頭を巡って、ちょっとわからなくなってきた。今、ここに居て生きてるんだけど、ホントはなんか、もっと先の、ずっと未来に回想しているのがこの「今」のこと、みたいな変な気持ち。
 昨日先生が言ってたホロスコートの話なんて聞いていると、手に取るように「思い出せる」気がしてしまう。ユダヤ人の記憶の断片みたいなもの。けどそれってたぶん本からの知識で、もちろん体験などないんだけど。へんなの。
昨夜はまた金縛りにあいそうになって目覚めた。ちょっと怖かった。そして夢にはずっと思い出しもしなかった懐かしい人が出てきてびっくりしたり。わたしは移動しすぎたのかもな。それによって、たくさんの人と出会ったけどたくさんの人を失ってきたのも確かだ。ずっと同じ土地に居たならば、何かの形で繋がっていたはずの人をどんどん遠ざけてしまったみたいだ。
 「新しい自分になるために」「過去を知らない人に出会うんだ」って思っていた。そしてそれは少し悲しい繰り返しだ。折り重なった層の一部分しか見ないで見せないで人を判断して、わたしという/あなたというパーツがあちこちに散乱している。
すべてが、統合される日は、きっと・・・・・いや、何でもない。
 今、ここ、この瞬間だけを生きます。

 外はすごく天気がいいみたいだ。けどカーテン閉めたまま。こんな日があってもいいよな。外完全無視だ。目が覚めたらきっと「本屋行く!」と言うに決まってるが。

gofuchudiary at 12:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年10月17日

ローズティー

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 何となく、冬に向かう季節になると、札幌を思い出す。ずっとずっと前の札幌。大通公園の端っこにある雰囲気のいい喫茶店でローズティーを飲んだことがあった。私の記憶の中では、あれが最高の味。日が暮れてきて、空気がピンと冷たくて、これから、冬に向かうのをじんわりと受け止めてくような時間だった。


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2009年09月08日

フィッシュマンズを聴きながら

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 フィッシュマンズを聴きながらこれを書いています。
 何だろう、この胸を締め付けられるような感じは。泣きたいような泣きたくないような。わたしはこの音楽を知らなかったけど、わたしはこの音楽を知っていたような気がする。心の奥底に泳いで、潜って行けそう。
 とても懐かしい場所。光って、眩しくて見えない場所。どこだかわからない其処に連れて行かれるようだ。たぶん、ヴォーカルの佐藤君がいる場所もそんなようなところなんだろう(わたしは彼の年を追い越した)。
 急に、ある人に手紙を書きたくなった。


gofuchudiary at 11:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)