握り初心者ねむる

2010年09月25日

静かに動き出す

新しいヘルパーさんを連れ、同行1件。
退院してから、ずっとケアに入っていなくて、本当に久しぶりに会えた寝たきりのおばあちゃん。
体の硬直は悪化していた。でも、あの笑顔は健在だった。
わたしの顔を見て、すごく喜んでくれた。
入院中もわたしの名前を心の中で叫んでいたと言ってくれて、こころから嬉しかった。
会えた。やっと会えた。

そんなふうに言ってくれる人を残して、わたしはここを去ろうとしていたのか、とはっとする。
裏では、いろんなゴタゴタがあり、怒りと悔しさがこみ上げてきて、もう全て捨ててしまおうと思った、その表では、わたしを待ってくれている人がいる。これが人間界の現実で、この多面的なのが世界。
だからきっと、まるですべてがきれいで、わたしが完全に満足するということは、生きている限りないのだ。
わかってる。
ここ2週間ぐらいずっとつらかった。でも何だか視界が開けてくるような感覚。

仕事が終わってから、ボランティアで知り合った障がいを持つ女の子と待ち合わせをしてお茶をする。友達として会えるのは嬉しい。ボランティアで接しているとどうしても、仕事的側面を出さなければならないことも多いし、それだと深まりづらいことも沢山ある。
何かいろいろ語って、途中からその子のお母さんも来てくれて3人で話が盛り上がった。お母さんはわたしの母と同い年で、何だかすごく親しみが持てる。山あり谷ありを乗り越えて今の明るさがあるんだなーと感じる。
わたしもいろんなことを語った。深いティータイムとなった。

夕方、先輩ヘルパーのYちゃんから電話が来て、府中で会って話すことに。どうするどうする、と言って結局居酒屋に入って飲みつつ語った。仕事のこと、家庭のことあれやこれや、と。
「普通」とか「当たり前」の生活なんてないんだ、と思う。
それぞれがそれぞれに、与えられた環境というものがあって、そこで不満を抱えたりしつつ、変えられない現実も確かに存在する。だけど、結局わたしたちにできるのは、それを受け入れつつ、どう感じ、どう生きるかだ。選択はできる。
環境のせいにして、不幸だと思い込んで生きることもあれば、その中でどう切り開いていくかを考えて進むことだってできる。それは自由だ。
悔むこと。そこから学ぶことだって多い。
時間は帰らない。
次にも同じように悔むこともあるかもしれない。
だけどやっぱり悩んだり哀しんだりして、その場その場を生きてくってこと。それが仕事のような気がする。そしてもちろん、嬉しいことや楽しいことも、素直に感じて生きること。
人間は感情に左右されて生きてくものだ。そんなのは大人じゃないとか理性的じゃないとか言われるかもしれないけれど、だって、そういう生き物だから。そうでなければ、つまらないじゃないか。それならロボットに代わりに生きてもらったほうがずっといい。

わたしはわたしのままで生きます。
人にどう思われるかを気にして行動を変えたりしないで、わたしのこころに忠実に生きたい。自分の人生なんだからさ。

gofuchudiary at 23:41│Comments(0)TrackBack(0) 日々 

トラックバックURL

コメントする

名前
URL
 
  絵文字
 
 
握り初心者ねむる