2011年12月

2011年12月24日

存在確認

あークリスマスイブだなー。

今一人で、シャンパンを飲んでいます。
最近は、酒を飲むと気持ち悪くなるんだけど、、、なんかやめらんない。
悩みとか迷いとかを打ち消すために飲んじゃってたのかもなー。ごまかすだけで結論は出ないのにねー。

こないだ、ヘルパー仲間の忘年会があった。
ヘルパーだけじゃなく、元所長もサ責とかケアマネさんも来て、何かすごく懐かしくてうれしくてたまらなかった。
何かみんなのことが大好きで、やさしくて、あーわたしはここに戻るんだろうな、って思ったんだ。
昔は一緒に、登録ヘルパーとして働いてたIさんが社員になっていて、また一緒に働きたいって言ってくれて、本当に戻ってきて!!と懇願され、わたしは、Iさんのためにも戻らなきゃっていう気持ちになっていた。(もちろん、訪問のヘルパーっていう仕事が自分にマッチしているってことに気づいたのが一番だけど)

そして、今の法人の来年度の働き方についての調査にも「退職」に○をつけて提出したのだった・・・。
すごい勇気、すごい決意、戻るんだ、わたし!って思ってた。

で、つい2日前。

今の職場の忘年会があった。

施設長とは話せなかったんだけど、私を採用してくれた支援課長がやって来て、「辞めるのは絶対だめー!」って言った。「お願いだから、これからも一緒にがんばっていこうよーー。」ってまた懇願されて(笑)
わたしと面接したときに、絶対にこの人を逃しちゃいけないって思った、とおしえてくれた。
「支援のセンスがあると思う」とも!!!

ナニッ!!!
わたしにセンスがあるだと????!!!!
びっくりだった。
こんなにも、毎日毎日悩み、情けない気持ちでいっぱいだったのに(泣)

「逆に、そういう思いをさせていたことに申し訳ない思いでいっぱいですよ。自分の力不足です」とまで・・・(T_T)

うわーーーーーん(泣)

孤独感まで理解してもらえ、わたしは、わたしは、、、、何か、
やっぱり、つらくても、ここでやっていくしかないな、って思ってしまったのであった。


そしていろんな職場を思い出す。
毎回、いろんな部長やら課長やら所長やら社長やらが引き止めてくれたことを思い出した。
わたしはそれを振り切って辞めてきた。
辞めたいという一心で。

そういう人たちを踏みにじって、傷つけてきたんだな、裏切ってきたんだな・・・ってことにやっと気づいた。
何か、そういう思いがぶわーってこみ上げた。


自分を卑下して、
どうせわたしなんていなくたって、、、って思って、
そういう人たちを傷つけてたんだな。

最近、人の優しさに敏感になってきた。と思う。

もう少しがんばってみようかな。
しんどいとか、きつい、とか、わたしには向いてないとか、、、いろいろ考えてたけど。。。
たぶん何か、継続することで見えてくるものも、あるはず。

月曜日、施設長に言ってみようかな。

そして気づくんだ。
わたしは、大事にされたいって思ってたんだってこと。
必要とされたかったんだってこと。

それは利用者と一緒だな。
いつも「わたしなんていないほうがいいんでしょ?わたしなんて死ねばいいと思ってんでしょ?」とかしんどい言葉を浴びせられて、うんざりしていたけれど、
きっと、わたしも、同じ気持ちなんだな。
そうやって、自分が愛されてるかどうかを確かめたいんだろうな。

存在を。

わたしが、いるってことを。

そのかけがえのなさを、
確かめたかったんだな。

辞める!(死んでやる!)とか言って、それを全力で止めてもらえるのを待っていたのかもしれない。

利用者の生きづらさは、わたしの生きづらさと重なる。
だからつらい。だからきつい。だからわかる。

もっと思いに沿って、受け止めて、あの人たちを支えていかなければなぁ・・・・・

gofuchudiary at 22:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 仕事 

2011年12月13日

この道であってる気がする

仕事について、わたしはずっと悩んでたんだろなぁ。

6年ほど前の日記が出てきた。
そこに、ヒントっていうか、、、やっぱそれでしょ、ってことが書いてあった。

2005年9月23日

サイン

私が仕事の方向性についてどう選択したらいいか、自分に問いかけていたら、9/21南平岸に歩いて買い物に出かけて帰る途中、知的障がい者の女性に話しかけられ、道を聞かれた。
わからなくてほかの人にも聞き、だいたい場所がわかったので彼女を案内し家の前まで一緒に行った。
そこは私の家から近いアパートだった。
その後自分の家の前でもまた道を聞かれた。

9/23地下鉄で南平岸に向かう。
地下鉄の中で輝いている人を見つけた。
18才ぐらいのかわいい男の子。にこにこしてしきりに体をゆらしている。最初は友達に向かってふざけているのかと思った。でも違った。彼は障がいを持つ子だった。
ものすごい輝きをはなっている。
私も思わず笑顔になる。
その後、歩いて行く途中に視力の弱い子ども2人を見かける。
お昼に天神山で車いすのお年寄とそれにつきそうヘルパーさんを見かける。
これが答えなのかな。

バリハイに本を返すために手紙を書いていたら、ユキちゃんからバリハイに行こうと誘われた。
行けないけど。

(*バリハイとは、当時札幌市白石区にあったスピリチュアルとかフェアトレードとかの雑貨を扱ってるお店。店主さんがすごく素敵な女性だった。悩みがあると話しに行きたくなるかんじの)


てか、私、なんぴらになんでそんなに用事あるの?www

ちなみにこのあとやった仕事は、コールセンターだった(笑)全然違う!!
なんか回り道をして、やっと福祉の道に入ったんだなぁ、と改めて思う。
あの頃にヘルパーを始めていたら、今はどうだったろう・・・って思う。もうケアマネでも取っていたんだろうか。
けど、きっとそんな根性もなかったろうね。
夢とか自己実現以前に、一人暮らし(当時)でやって行かなきゃいけない中で、とにかく生活しなきゃってことでいっぱいだったからなぁ。いかにストレスなく稼ぐか考えていたもん。
自分に合う時期に合う職業に出会うのかな。。。




gofuchudiary at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日々 

2011年12月06日

どうなるのかな・・・

気づいたらもう、台北旅行から1か月が過ぎていた。。。
時間が過ぎるのが早い。

11月24日、祖母が亡くなった。
朝、親から電話が来てすぐ、荷物を用意して夜には函館に着いた。
冷たくなって横たわる祖母の髪の毛を、猫が撫でて(じゃれて)いた。
何度か死の淵をさまよったけれど、そこから復活して、ずっとクリアな脳みそで、わたしのこともやっちゃんのことも忘れることはなかったのです。
96歳までよくぞ生きてくれました。
骨になったのを見ても、なんだか「死んだ」ような気がしなかったなー。不思議。何も寂しくないの。
こういう死もあるんだね。
存在はそのままにある感じ。現実逃避でもない。

年をとって死ぬというのは、とても自然なことだ。
そういうことを考えていくと、また、訪問介護のことを思い出しちゃう。

今の仕事も何とか慣れて、それなりにこなせるようになってきたところだけど(業務としては)、
支援とは何かを考える日々。
というか、自分が利用者を支援できているのかすらよくわからない、実感がない。
正解はないのかもしれないけれど、役に立ってるかんじはしないのだ。
それが何だかむなしくなる。
やっぱり、戻ろうか、どうしようか、、
でもやっぱ頑張ろう!もっと努力しよう!勉強しよう!
って、思うと、

前の会社の人からメールとかが来て、「戻ってくるんでしょ?」とか「戻ってきて!」とか言われる。。。

それで、せっかく、覚悟決めようとしたのに、揺れる・・・・というのの繰り返しー!
てか、何でいつもタイミングいいの?(笑)

選択の先に何があるのか、まで見据えて、行動しよう、と思うのだが、、、
あああ、いったいどうなるのか。





gofuchudiary at 21:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日々