2011年08月

2011年08月21日

分かってる。

最近、よく夢を見る。
自転車をこいで、利用者さんの家に急いでいるような。
でも、よく見ると制服が、ヘルパーのじゃなくて、今の職場の喫茶の制服なんだ。
そこが現実に繋ぎとめているところだ。
たぶん、ヘルパー時代の仲間と久々に会って話したりしたのが影響してるのかもな。
利用者さんの名前出されて、「淋しいって言ってたよー!」とか言われると、苦しくてたまらなくなる。
関わって来た利用者さんに何も言わず、あんなに愛していた仕事を辞めてしまったことがずーっと圧し掛かってくる。でも、あの時は辞めるしか選択肢はなかったように思えた。
新たにスタートするには今しかない、という気持ちだったんだ。

今は今で、結構楽しいこともあるし、職員さんはみんな良い人だし、本当に熱心で利用者のことを第一に考える志の高い人ばかり。だからこそ、自分が薄っぺらで何もできない人間のように感じてしまう部分もある。
何が、本当にその人のためになるのか、毎日悩んでばかり・・・。
自分が動くのが仕事だったのに、今は人に指示を出して動いてもらうのが仕事になってしまった戸惑いもある。
その感覚にまだしっくりきていない。
要するに慣れてないのか。

率先して動くことが、相手の仕事を取ってしまうことになるので、ぐっと堪えて動き出すのを待つ、、、今までの仕事の概念が覆るよ。ほんと。
ふと、「向いてないかも」と思ってしまったこともあって、その言葉を頭の中でリピートしちゃっていて、そんな時に昔の仲間に会っちゃったもんだから、「戻りたい・・・」なんて思いが湧きあがっちゃった。
でも、今は踏ん張るよ。
何だかんだ言って、前の仕事では必要とされてる感があったんだ。それは居心地がいいに違いない。
今はそれが感じられないもんだから、こうしてあれやこれやと考えちゃうんだろう。
そして、それは甘えでもある。
認めてもらいたい気持ちの表れなんだろうと思うよ。
本当は、誰かを「支援」するために働いているのだから、自分が認められるかどうかは関係ないはずだ。
職員会議で、夜遅くまで、利用者それぞれの人生を思って、みんなで頭を悩ませながらも語り合っている時は、ああ、この仲間で一緒に働けて良かったなーって素直に思うから。そこを打ち消すぐらいにつらくなったら考えるけど、今は、自分の不甲斐なさを認めつつ、成長の機会だと思おう。

「あの頃」なんてのは、いつだって甘くて楽しいものなんだ。
思い返してる時点で、現実とは別の、脚色された、自分アレンジの過去になっているんだ。
そういうもんだと思うよ。
実際、戻ってみたら、やっぱり「あの頃」とは違う。これは「今」だ。って気づくだけなんだから。

それでも、もし、いつか、本当に自分がそこだ!って思うなら、やり直すことだってできる。
そんなふうに緩く縛っておけばいい。

追記;
でも、たぶん、ホームヘルパーの仕事は、私にはすごくマッチしていたと思う。向いていたんだと思う。
あんなにストレスなく、楽しく働けたのは、生まれて初めてだったから。というか、(プロ意識を持ちつつも)仕事をしているという気がしないような仕事だった。
会社とか決まった場所に行くよりも、人の家に行ってお世話するのが好きだったんだろう。
それに気づけたことも今後の人生のためにはなるのかもな。
アウトリーチ。出向くということ。
震災後の、訪問医療の番組とかを見ていても思ったけど、やっぱり、そこなんだろうな。自分のポイントは。
ある特定の場所に呼び寄せるのではなく、こちらから、生活の場に入るということ、だ。
その人に関するいろんな情報があり、その人が一番リラックスできるだろう場所。
生活しやすくする改善点も見つかりやすいもんね。

以上、今思ってること、思いついたこと。でした。

gofuchudiary at 22:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0)日々 | 仕事