2011年04月
2011年04月29日
2011年04月28日
いろんなご縁
今日は、ブログ&ツイッターで知り合ったくじらさんと武蔵小杉でランチ!
64cafe+ranaiというお店。実は、結構前にちい散歩で見たことがあって気になっていたのであった!
まさか偶然来ることになるなんて。
初対面とは思えぬ、ものっすごい濃い話となりました(予想通り!)。
そのあとも、ぶらぶらお茶できるカフェを探し、諦めかけていた時にマクロビカフェを見つけて入って、そこでも幅広いトークでしまいにゃ、宇宙規模の話で地球を見下ろすぐらいの話題にwww
店主さんも交えて人間の健康と人生についてあれこれ話せてほんと、面白かった。
何かパワーみなぎってるな。
くじらさんは、昨日被災地で炊き出しのボラ行っていたので、写真も見せてもらって、いろんな話を聞かせてもらった。
視点が変わる感じ。
わたしは、外からしか見ないで哀しんでばかりいた気がする。
関東での不安苦しみ。
そして北海道から見る切なさ。
そして関西から見る遠くの出来事。
何もできない焦りとか、どうしようもない痛みとか、、、
ほとんど役立たずでのたうちまわっていた感覚だ。
くじらさんの話を聞いていたら、そういうのがほどけてくような気がした。
なんとなく、そこに希望があるのを感じる。
人はきっと、どんな状況になっても、生きる。死ぬまでは生きるんだよね。
実は、わたしは、東京に帰ってから、ある行動に出ていた。
それはちょっとした決意だったのだ。
震災後、少し実家に帰って、そしてやっちゃんのいる大阪でも過ごして、ヘルパーを1カ月くらい休んだ。
その間にずっと考えていたことがあった。
原発事故があったことで、わたしは恐怖、そして望みが断たれたような気持ちになり、やっと今、現実であることを受け入れたところ(たぶん)なんだけど、、、
それがあって、自分の死を身近に感じて生きるようになったのだと思う。
いつまで生きるかなんて誰にもわからないけど、リスクが高まったことは確かだ。
そう長くはない(かもしれない)残りの人生を、何につぎ込もうか!ってことを考えていたんだ。
わたしはボランティアでの出会いから、障害者福祉の仕事に関わりたいっていう思いがあって、でも、それって今やっている高齢者介護を捨てて行くことになるんじゃないかとか葛藤の中で自分を苦しめたりもしていた。
けど、東京に戻ってから、ふと見た求人で、ああこれだ!って思ったのがあって、すぐ電話をしたら、施設長が不在で、事務の人の話だともしかしたらもう採用が決まりそうな人がいるようで、でも、一応月曜に電話ください、と言われ、今週月曜に施設長に電話をして、すぐその日に面接に出掛けた。
多数の応募が来ていているようで狭き門だということはわかっていたのだけど、最後の滑り込みで猛アピールしてきたので、行動したことに悔いはなかった。
それが、今日連絡があって、「採用」となったのだ!
G.W明けから、某社会福祉法人で、知的障害者支援員として、喫茶店で一緒に働きます。
その法人は、グループホームや、授産施設(クッキーとか作ったり)、就労支援、日中活動などいろんな分野で総合的に知的(発達)障害を持つ人たちを支援している。
きっとわたしにとっても、大きな大きな成長のチャンスになると思う。
大変だと思うけど、ともに歩む気持ちでやっていきたいよ!
当たり前だけど、毎朝、ちゃんと通う職員だから、どうなの?アンタにできんの?!っていうツッコミは自分の心の中に無いわけではないけど(笑)!!!やってみます!
くじらちゃんに今日書いたメールの一部を貼っておく。
自分の、知的障害者と呼ばれる方々との付き合いでの素直な感想(初心)なので。
四角い枠に入ってしまいがち(でもはみ出てる)自分をいつも解放してくれるのは、実は、知的障害を持った仲間たちなんだよね、私にとっては。
あの人たちと接してると、世間の常識とか別にいいやー!
好きに生きていいやー。
あたし、何、人に気に入られようと取り繕ってたんだろー。かっこつけてたわー。ってことに気づくんだ。いつも。
生きるってもっとシンプルでいいんだ!
いろんな人がいていいんだよな、って思い出させてくれる貴重な存在。ほんっと、いつも関わってるヤツラは、自由気ままだからさ(笑)
笑っちゃうくらい自由でおもしろい発想。
いつも「その発想はなかったわー」って思うもん。毎回会うたびに。
だからそばにいたいんだろうね。
私が安心するからそばにいたい、ってのと、あの人たちが虐げられるのが耐えられない、って気持ちと、
生きる困難さはわたしだって負けてないから(笑)、ともに生きていきたい、って思い!!
だから「支援!」って気負わず、普段のわたしのままで一緒に成長していけたら、って今思ってるよ。
2011年04月22日
2011年04月18日
バイエルにて
大阪でbeyer(バイエル)ってカフェに行ったんだけど、ここが素敵だったーー。
カステラとロイヤルミルクティをいただきました。
ロフト的な2階で、座布団に座って、本棚から好きな本を取り出してのんびりできる場所です。
関西で活動してる作家さんの作品とか本とかあって、気に入ったのがあれば購入できる。わたしも、詩でも書きたいと思ったよ。
そんな中で、この本も置いてあって、開いては深いため息。
百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY [普及版]
著者:池澤 夏樹
Think the Earthプロジェクト(2002-04-22)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
うず高く積まれたゴミの山。
残酷な動物実験。
戦争。
環境汚染。
食糧問題。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた家畜たち。
飢えてく子どものガラガラに痩せてしまった姿。
きっと、この本に続きがあるならば、東京電力福島第一原子力発電所の事故が載ることだろう。
人間のおごりの結果として。
地球的には、人間が絶滅したほうが良くね?みたいなツイートとか見かけたけど、実際そうなのかもなぁ・・・って思うことがある。
だけど、人間の愚かさと同時に、美しさも信じたいよ・・・。
いつもその狭間で、両極を行ったり来たり。
生きるべきか死ぬべきか、ってさ。
・・・・やっぱシェークスピアすげぇなw
カステラとロイヤルミルクティをいただきました。
ロフト的な2階で、座布団に座って、本棚から好きな本を取り出してのんびりできる場所です。
関西で活動してる作家さんの作品とか本とかあって、気に入ったのがあれば購入できる。わたしも、詩でも書きたいと思ったよ。
そんな中で、この本も置いてあって、開いては深いため息。
百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY [普及版]
著者:池澤 夏樹
Think the Earthプロジェクト(2002-04-22)
販売元:Amazon.co.jp
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うず高く積まれたゴミの山。
残酷な動物実験。
戦争。
環境汚染。
食糧問題。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた家畜たち。
飢えてく子どものガラガラに痩せてしまった姿。
きっと、この本に続きがあるならば、東京電力福島第一原子力発電所の事故が載ることだろう。
人間のおごりの結果として。
地球的には、人間が絶滅したほうが良くね?みたいなツイートとか見かけたけど、実際そうなのかもなぁ・・・って思うことがある。
だけど、人間の愚かさと同時に、美しさも信じたいよ・・・。
いつもその狭間で、両極を行ったり来たり。
生きるべきか死ぬべきか、ってさ。
・・・・やっぱシェークスピアすげぇなw
2011年04月17日
東京へ
東海道新幹線の中から、ビジネスマンのようにノートパソコン開いて更新中ー、なのがこのブログ。
とうとう大阪生活が終わりました。
スーツケースに、必要最低限の荷物詰め込んで関空に着いたのはいつだったっけ?なんだかもう日にちの感覚が無くなっちゃった。
ウィークリーマンションにずっとこもって情報を追って不安になったり悲しくなったり、カフェ行ってちょっとの間気分転換したり、そして何となくだけど、やっと、今ある生活を楽しもう!って思った瞬間に、東京戻れ命令でごさいます。
京都行かなかったのが心残りではあるけれど。
何だかでも、ほっとしている気持ちもある。
余震で揺れていただろう我が家はどんな感じになってるかな。
正直、これからずっと府中で暮らせるかもわからないんだけど、とりあえずいったん帰って、自分の布団で眠りたい。
ここ1か月ぐらいで、世界のとらえ方とか、自分の思う正義を主張することで誰かを傷つけたり、また逆に傷ついたり、いろんなことを知った。たぶん、きっと、みんなが、幸せとか満足ってことはないんだろうね。
押してへこんだ分だけの容量が、別の部分に盛り上がる。
それを平均にならしたら(ならすことすら難しいけど)、喜びも無くなっちゃうんだと思う。
じゃあ、何を目指す?
どうしていけばいいんだろう・・・。
完成形が無いとしても、あって、それになったとしても、きっと幸せですらないんだよね。たぶん。
常に、ここにあるもの、目の前で起こっていることの中で、それをどう捉えて、どう生きるか、結局はそこに尽きるんだろう。
ただ受け入れるってのとは違う。
目指すってこと、それを止めたら終わりだと思うんだー。
本当は恐ろしいぐらいの無力感と、くじけそうな気持ちに負けそうになる日々だけど、欲張らず、まず自分ができることを考えていこうと思う。
「継続する志」って、田中優さんが前に本にサインしてくれたなーと思い出す。
もう少し考えてみる。
今、名古屋を過ぎた。
とうとう大阪生活が終わりました。
スーツケースに、必要最低限の荷物詰め込んで関空に着いたのはいつだったっけ?なんだかもう日にちの感覚が無くなっちゃった。
ウィークリーマンションにずっとこもって情報を追って不安になったり悲しくなったり、カフェ行ってちょっとの間気分転換したり、そして何となくだけど、やっと、今ある生活を楽しもう!って思った瞬間に、東京戻れ命令でごさいます。
京都行かなかったのが心残りではあるけれど。
何だかでも、ほっとしている気持ちもある。
余震で揺れていただろう我が家はどんな感じになってるかな。
正直、これからずっと府中で暮らせるかもわからないんだけど、とりあえずいったん帰って、自分の布団で眠りたい。
ここ1か月ぐらいで、世界のとらえ方とか、自分の思う正義を主張することで誰かを傷つけたり、また逆に傷ついたり、いろんなことを知った。たぶん、きっと、みんなが、幸せとか満足ってことはないんだろうね。
押してへこんだ分だけの容量が、別の部分に盛り上がる。
それを平均にならしたら(ならすことすら難しいけど)、喜びも無くなっちゃうんだと思う。
じゃあ、何を目指す?
どうしていけばいいんだろう・・・。
完成形が無いとしても、あって、それになったとしても、きっと幸せですらないんだよね。たぶん。
常に、ここにあるもの、目の前で起こっていることの中で、それをどう捉えて、どう生きるか、結局はそこに尽きるんだろう。
ただ受け入れるってのとは違う。
目指すってこと、それを止めたら終わりだと思うんだー。
本当は恐ろしいぐらいの無力感と、くじけそうな気持ちに負けそうになる日々だけど、欲張らず、まず自分ができることを考えていこうと思う。
「継続する志」って、田中優さんが前に本にサインしてくれたなーと思い出す。
もう少し考えてみる。
今、名古屋を過ぎた。