2011年03月
2011年03月16日
ストレスピーク
刻々と事態が深刻になる中、1人で家に閉じこもり、2日が過ぎました。
やっちゃんは、数日前に、緊急事態のため、期限のわからない出張へ。
テレビやネットからの情報を追うのも疲れ、今は静寂の中に居ます。
けど、時々、どうなっているか気になって、知らないことが怖くなり、そして知ってることも怖くなる。
東京にいるわたしがこんなに怖いのだから、東北の被災した方々は、どんなにつらいだろうか、と思いを馳せます。
今、起こっていることは、ほんとうに、地獄のようだ。
地震から復興した街をわたしは知っているけれど、原発事故から立ち直った街をわたしはまだ知らない。ほんとうにほんとうに大変なことが起こった。
人生で1番恐れていたことの一つだ。
嘆いても現実は変わるわけもなく、眠れず、寝ても悪夢、起きたらさらなる悪夢の日々。
時間が過ぎていくごとに、深刻さが浮き彫りになり、どんどん締め付けられ、息が出来なくなるよう。
テレビの言う「人体に影響のないレベル」という言葉を鵜呑みにできるほど、わたしは、まっさらではない。被爆は量と時間、放射線の種類、そして、外部からか、内部に取り込むかで、影響は大きく変わるのだ。数字だけ示して安心しろと言われても、素直にうなずけない。
そして、急性でなく、後になって出る症状には、因果関係を説明することもできないのも知っている。細胞分裂が活発な子どものほうが、影響を受けやすいことも・・・。
とにかく哀しい。
ものすごく哀しく残念な思い。
ただ、同時に思うのは、どうやったって、人はいつか必ず死ぬものだということ。
それが被爆による病気からくるものであれ、別の理由であれ。
だから、とにかく、生きられるとことまで生きる、それしかないのだろうということもわかっている。
わたしは、誰とも話すことなく、「悲惨な情報」とだけ向き合って、かなり気が滅入ってしまっているんだと思う。
1人でいることが、こんなにも心細いことだとは。。。
やっちゃんは、数日前に、緊急事態のため、期限のわからない出張へ。
テレビやネットからの情報を追うのも疲れ、今は静寂の中に居ます。
けど、時々、どうなっているか気になって、知らないことが怖くなり、そして知ってることも怖くなる。
東京にいるわたしがこんなに怖いのだから、東北の被災した方々は、どんなにつらいだろうか、と思いを馳せます。
今、起こっていることは、ほんとうに、地獄のようだ。
地震から復興した街をわたしは知っているけれど、原発事故から立ち直った街をわたしはまだ知らない。ほんとうにほんとうに大変なことが起こった。
人生で1番恐れていたことの一つだ。
嘆いても現実は変わるわけもなく、眠れず、寝ても悪夢、起きたらさらなる悪夢の日々。
時間が過ぎていくごとに、深刻さが浮き彫りになり、どんどん締め付けられ、息が出来なくなるよう。
テレビの言う「人体に影響のないレベル」という言葉を鵜呑みにできるほど、わたしは、まっさらではない。被爆は量と時間、放射線の種類、そして、外部からか、内部に取り込むかで、影響は大きく変わるのだ。数字だけ示して安心しろと言われても、素直にうなずけない。
そして、急性でなく、後になって出る症状には、因果関係を説明することもできないのも知っている。細胞分裂が活発な子どものほうが、影響を受けやすいことも・・・。
とにかく哀しい。
ものすごく哀しく残念な思い。
ただ、同時に思うのは、どうやったって、人はいつか必ず死ぬものだということ。
それが被爆による病気からくるものであれ、別の理由であれ。
だから、とにかく、生きられるとことまで生きる、それしかないのだろうということもわかっている。
わたしは、誰とも話すことなく、「悲惨な情報」とだけ向き合って、かなり気が滅入ってしまっているんだと思う。
1人でいることが、こんなにも心細いことだとは。。。
2011年03月13日
地震当日のこと
生きてます。
気持ちが落ち着かない日々を過ごしている。
哀しくて苦しくて、今まで、いろんなことに文句とか不満とか言いながら生活してきたことを懐かしく思う。
何でもいい。みんな、元気で過ごせたなら。
あの日、わたしは、知的障がいのある友達Nちゃんと二人で、府中に出掛けていた。
イタリアンレストランでランチをする約束をしていたのだ。
Nちゃんの補聴器が、「電池を取り替えてください、ピピっ」という音がしていて、なかなかわたしの声が聞きとりづらいと言っていた。
メニューには写真がなくて、セットの組み合わせを言葉で説明をする。
実際説明をしてみると、これはなかなか理解しづらいものだ、とわたしも思う。
「前菜」=いろんなおかずがちょっとずつある。とか、セットのパスタは、この隣にある、○○のボンゴレビアンコと、何とかと何とかの3つの中から選べる。ボンゴレっていうのは・・・と、1つ1つ説明してる間に前のメニューは、なんだったっけ?
といった感じで(笑)
フランスパンが硬くて食べづらかったり、、、食べられないものがあったり、わたしにとっては全く何気ない食事だけど、Nちゃんにとってはやっぱりイタリアンは難しかったかな・・・と反省をしていたことろ。そして、それも1つの経験なのかな、とも思いつつ。
その後、お茶でもしようと言って、府中駅にあるドトールに行った。
これが直前の写真。
このケーキを食べて、コーヒーを飲み終わった頃に、京王線の振動?のようなものを感じた。
でも、なかなか止まらない。
ますます強まる!!
地震だ。
Nちゃんは、すぐに、このテーブルの下に隠れた。
わたしはしばらくその場にいる。周りの人たちもざわざわし出した。涼しい顔をしていた店員さんも焦り出す。
その場でわたしの頭の中はいろんなことが駆け巡るのだった。ついこの間の、NZの大地震。そして、高校生の頃に体験した北海道南西沖地震・・・。
揺れは収まるどころか、ますます強くなり、心臓の音が高くなっていく。
考えている余裕はない。とにかく、Nちゃんを守らなければ。Nちゃんを守って、家まで送り届けなければ!!
しっかりしろ!わたし。しっかりしろ!!!!
わたしがダメになってはいけない。怪我をしてはいけない。
わたしも、テーブルの下に入りNちゃんの背中をさすりながら「大丈夫だよ。大丈夫だからね。」とNちゃんに言いながら、自分にも言い聞かせた。
まだ揺れは止まらない。そして窓や壁がミシミシギシギシと鳴り出す。
震源はどこなんだろう。
ものすごい恐怖を感じる。
怖い。とにかく止まってほしい。
・・・そして収まる。
Nちゃんは、ハンカチを出して口元を押さえていた。
「具合悪いの?大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と言う。
どうやら、地震が来たら、テーブルの下に隠れて口をハンカチで押さえるんだよ、と教えられていたらしい。しっかりと教えを守っている。
わたしの親、それからやっちゃんからもすぐに電話が来て無事が確認できた。
Nちゃんのお母さんの携帯に電話するが繋がらず。
Nちゃんの自宅の電話番号に、わたしのPHSから電話するとすんなり繋がった。
大丈夫だから、ということと、安全に送り届けることを約束し、店を出た。
Nちゃんの職場に寄り、仲間の無事を確認し、お互いの無事を祈り、Nちゃんの家へと向かう。
途中、建物から出て来た人たちが沢山いた。
みんな、携帯を片手に誰かに連絡をしようとしている。
歩いている時に会ったおばあちゃんは「嫁に電話が繋がらない。胃が痛くなって来た」と言っていた。こういう時は、みんな繋がらなくなるものだから、何かあったわけではないと思うよ、と言うと「そういうもんなの?」と言って、とにかく家に戻る、と帰って行った。
とにかく、2人手を繋ぎ、Nちゃんの家に着く。
お母さんは、「怖かったねー。無事でよかったー」とホッとした様子。
わたしも、無事送り届けることができてほっとする。
家に入り、3人でお茶を飲んだ。テレビを見て、改めて恐怖を感じた。
とんでもないことが起こったのだ。
これから明らかになることが恐ろしくてたまらなかった。
その後、事務所に寄り、みんなの安否を確認。
家に帰ってからわたしは、テレビを見ながらパソコンで情報を集め、震えた。
緊張状態で、悲しみよりも恐怖が強かった。
今、何をしたらいいのか、何ができるのか・・・。
やっちゃんは、仕事で、夜中2時過ぎに帰宅した。
わたしは、ラジオを聞きながら横になり、4時ぐらいに少しうとうとしたけれど、緊急地震速報の音で何度もビクビクし、結局眠れずに利用者さんの家に行った。
気持ちが落ち着かない日々を過ごしている。
哀しくて苦しくて、今まで、いろんなことに文句とか不満とか言いながら生活してきたことを懐かしく思う。
何でもいい。みんな、元気で過ごせたなら。
あの日、わたしは、知的障がいのある友達Nちゃんと二人で、府中に出掛けていた。
イタリアンレストランでランチをする約束をしていたのだ。
Nちゃんの補聴器が、「電池を取り替えてください、ピピっ」という音がしていて、なかなかわたしの声が聞きとりづらいと言っていた。
メニューには写真がなくて、セットの組み合わせを言葉で説明をする。
実際説明をしてみると、これはなかなか理解しづらいものだ、とわたしも思う。
「前菜」=いろんなおかずがちょっとずつある。とか、セットのパスタは、この隣にある、○○のボンゴレビアンコと、何とかと何とかの3つの中から選べる。ボンゴレっていうのは・・・と、1つ1つ説明してる間に前のメニューは、なんだったっけ?
といった感じで(笑)
フランスパンが硬くて食べづらかったり、、、食べられないものがあったり、わたしにとっては全く何気ない食事だけど、Nちゃんにとってはやっぱりイタリアンは難しかったかな・・・と反省をしていたことろ。そして、それも1つの経験なのかな、とも思いつつ。
その後、お茶でもしようと言って、府中駅にあるドトールに行った。
これが直前の写真。
このケーキを食べて、コーヒーを飲み終わった頃に、京王線の振動?のようなものを感じた。
でも、なかなか止まらない。
ますます強まる!!
地震だ。
Nちゃんは、すぐに、このテーブルの下に隠れた。
わたしはしばらくその場にいる。周りの人たちもざわざわし出した。涼しい顔をしていた店員さんも焦り出す。
その場でわたしの頭の中はいろんなことが駆け巡るのだった。ついこの間の、NZの大地震。そして、高校生の頃に体験した北海道南西沖地震・・・。
揺れは収まるどころか、ますます強くなり、心臓の音が高くなっていく。
考えている余裕はない。とにかく、Nちゃんを守らなければ。Nちゃんを守って、家まで送り届けなければ!!
しっかりしろ!わたし。しっかりしろ!!!!
わたしがダメになってはいけない。怪我をしてはいけない。
わたしも、テーブルの下に入りNちゃんの背中をさすりながら「大丈夫だよ。大丈夫だからね。」とNちゃんに言いながら、自分にも言い聞かせた。
まだ揺れは止まらない。そして窓や壁がミシミシギシギシと鳴り出す。
震源はどこなんだろう。
ものすごい恐怖を感じる。
怖い。とにかく止まってほしい。
・・・そして収まる。
Nちゃんは、ハンカチを出して口元を押さえていた。
「具合悪いの?大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と言う。
どうやら、地震が来たら、テーブルの下に隠れて口をハンカチで押さえるんだよ、と教えられていたらしい。しっかりと教えを守っている。
わたしの親、それからやっちゃんからもすぐに電話が来て無事が確認できた。
Nちゃんのお母さんの携帯に電話するが繋がらず。
Nちゃんの自宅の電話番号に、わたしのPHSから電話するとすんなり繋がった。
大丈夫だから、ということと、安全に送り届けることを約束し、店を出た。
Nちゃんの職場に寄り、仲間の無事を確認し、お互いの無事を祈り、Nちゃんの家へと向かう。
途中、建物から出て来た人たちが沢山いた。
みんな、携帯を片手に誰かに連絡をしようとしている。
歩いている時に会ったおばあちゃんは「嫁に電話が繋がらない。胃が痛くなって来た」と言っていた。こういう時は、みんな繋がらなくなるものだから、何かあったわけではないと思うよ、と言うと「そういうもんなの?」と言って、とにかく家に戻る、と帰って行った。
とにかく、2人手を繋ぎ、Nちゃんの家に着く。
お母さんは、「怖かったねー。無事でよかったー」とホッとした様子。
わたしも、無事送り届けることができてほっとする。
家に入り、3人でお茶を飲んだ。テレビを見て、改めて恐怖を感じた。
とんでもないことが起こったのだ。
これから明らかになることが恐ろしくてたまらなかった。
その後、事務所に寄り、みんなの安否を確認。
家に帰ってからわたしは、テレビを見ながらパソコンで情報を集め、震えた。
緊張状態で、悲しみよりも恐怖が強かった。
今、何をしたらいいのか、何ができるのか・・・。
やっちゃんは、仕事で、夜中2時過ぎに帰宅した。
わたしは、ラジオを聞きながら横になり、4時ぐらいに少しうとうとしたけれど、緊急地震速報の音で何度もビクビクし、結局眠れずに利用者さんの家に行った。