2010年09月
2010年09月30日
次のステージへ
超ハードスケジュール+雨合羽。
雨の日の自転車移動はやっぱキツイな。
一つの時代が終わりました。わたしの仕事の中で。
今まで指導してくれていた(「いいよいいよ」「適当で!」「大丈夫大丈夫」「気にすんな」っていう指導))所長が今日でいなくなりました。
あーすごいテキトーな男だったなー。だから、こんなに毎日バリバリ働けて来れた。世の中の通常の会社では勤まらないわたしが、すごい勢いで仕事人間化できたのも実は奴のおかげでした。同い年で、いつの間にかタメ口きくようになり、だいぶふざけ過ぎたけれど、利用者さんに対してはいつも思いやりを持って接する姿勢をわたしは尊敬しておりました。
長いつきあいの利用者さん、今日所長が挨拶に来たら泣いていた。ものすごくショックを受けて、頭抱えている姿を見たらこっちまで泣けてきてしまう。そんだけ慕われている人だったんだなーって思う。そんでわたしもそういう存在になれたらいいなって思った。羨ましいような気持ちだ。
所長と言えど、事務所にどんと座っているのではなく、わたしたちとおんなじヘルパーだった。今も利用者さん宅にケアに入っていたし。怒られたことも一度も無かったな。注意しない甘い管理者かもしれない。一般的には。だけどたぶん、だからこそやってこれたヘルパーもいっぱいいると思う。少なくともわたしはそうでした。自分のキャラで自由にさせてもらえる。もちろん利用者さんの希望に添いながら。そんな仕事のやり方でした。
うーん。上司がいなくなって淋しい気持ちになったのは初めてだ。「てか、お前、俺のこと所長と思ってねーだろ?!」っていつも言われていたけれど(笑)
何かいろいろ変化します。
けど、わたしはここを乗り越えて、やっていく。とにかく、くじけずにやってみます。
疲れたんだけど、10月もやっぱ休み少ししかないみたい。
必要とされているのは、ありがたいことだけどね。どう変わっていくのかな。それも少し楽しみではある。
雨の日の自転車移動はやっぱキツイな。
一つの時代が終わりました。わたしの仕事の中で。
今まで指導してくれていた(「いいよいいよ」「適当で!」「大丈夫大丈夫」「気にすんな」っていう指導))所長が今日でいなくなりました。
あーすごいテキトーな男だったなー。だから、こんなに毎日バリバリ働けて来れた。世の中の通常の会社では勤まらないわたしが、すごい勢いで仕事人間化できたのも実は奴のおかげでした。同い年で、いつの間にかタメ口きくようになり、だいぶふざけ過ぎたけれど、利用者さんに対してはいつも思いやりを持って接する姿勢をわたしは尊敬しておりました。
長いつきあいの利用者さん、今日所長が挨拶に来たら泣いていた。ものすごくショックを受けて、頭抱えている姿を見たらこっちまで泣けてきてしまう。そんだけ慕われている人だったんだなーって思う。そんでわたしもそういう存在になれたらいいなって思った。羨ましいような気持ちだ。
所長と言えど、事務所にどんと座っているのではなく、わたしたちとおんなじヘルパーだった。今も利用者さん宅にケアに入っていたし。怒られたことも一度も無かったな。注意しない甘い管理者かもしれない。一般的には。だけどたぶん、だからこそやってこれたヘルパーもいっぱいいると思う。少なくともわたしはそうでした。自分のキャラで自由にさせてもらえる。もちろん利用者さんの希望に添いながら。そんな仕事のやり方でした。
うーん。上司がいなくなって淋しい気持ちになったのは初めてだ。「てか、お前、俺のこと所長と思ってねーだろ?!」っていつも言われていたけれど(笑)
何かいろいろ変化します。
けど、わたしはここを乗り越えて、やっていく。とにかく、くじけずにやってみます。
疲れたんだけど、10月もやっぱ休み少ししかないみたい。
必要とされているのは、ありがたいことだけどね。どう変わっていくのかな。それも少し楽しみではある。
2010年09月27日
受容期
雨。
雨に打たれて自転車。合羽を着て。
とても寒かった。
あの夏、ジリジリと太陽に焼かれて走るのは体力を奪われて、それは大変だったけども、この薄暗い雨の中を走り抜ける孤独には叶わない。体が奥の奥から冷え切る感じだ。
いつもの入浴介助もお湯の温度を上げた。全てが急激に変化していく。
今訪問している中で一番遠い家で、おばあちゃんと語り合った。
おばあちゃんは、「ああなりたい、こうしたい、今回失敗したから今度はこうやろう」とあれやこれやと考えて生きて来たそうだ。「でもやっぱり、おんなじなのよねー」と言った。
その時わたしは悟ったよ。
わたしはわたしのままで、いくらほかの何者かになろうとしても無駄だってことを。わたしは変わらないのだ。このままなんだよ、ずっと。
92年も生きていてそうなんだものさ。35年生きてて、やっぱうまくいかないんだものさ。
人の性質ってそう変わるもんじゃないんだろうよ。
わたしはたぶん生きてるあいだずっと「切ない」って言葉を使うんだろうし、生きてるだけでいちいちヒリヒリ痛いんだろうし、いい人ぶって笑顔で、そして怠け者で、何かに夢中になってもすぐ覚めてしまう、浅はかで鋭くて自意識過剰、そんな自分が大嫌いで大好きなんだろう。
強くなろうとか、なれるとか信じてた気がするけど、起こる物事は毎回違うし、反応も毎回違う。だからいちいちつらいだけ。乗り越えても乗り越えてもやっぱ強くはなってないようだ。けど、それでいいのかも。
そういう感受性だから仕方ない。諦めよう。
諦めるってマイナスな言葉に聞こえるけど、諦めはちょっと心を楽にしてくれる。諦めっていうか、受け入れって言ったほうがいいか。受容。
どうにもならないことを受け入れる。
これってここ数年のテーマだな。
そしてきっと、忘れてしまうんだろうな。この感覚も。
淋しいけれどありがたい。また他のことで悩む。
日々の生活ってそういうもんだ。
雨に打たれて自転車。合羽を着て。
とても寒かった。
あの夏、ジリジリと太陽に焼かれて走るのは体力を奪われて、それは大変だったけども、この薄暗い雨の中を走り抜ける孤独には叶わない。体が奥の奥から冷え切る感じだ。
いつもの入浴介助もお湯の温度を上げた。全てが急激に変化していく。
今訪問している中で一番遠い家で、おばあちゃんと語り合った。
おばあちゃんは、「ああなりたい、こうしたい、今回失敗したから今度はこうやろう」とあれやこれやと考えて生きて来たそうだ。「でもやっぱり、おんなじなのよねー」と言った。
その時わたしは悟ったよ。
わたしはわたしのままで、いくらほかの何者かになろうとしても無駄だってことを。わたしは変わらないのだ。このままなんだよ、ずっと。
92年も生きていてそうなんだものさ。35年生きてて、やっぱうまくいかないんだものさ。
人の性質ってそう変わるもんじゃないんだろうよ。
わたしはたぶん生きてるあいだずっと「切ない」って言葉を使うんだろうし、生きてるだけでいちいちヒリヒリ痛いんだろうし、いい人ぶって笑顔で、そして怠け者で、何かに夢中になってもすぐ覚めてしまう、浅はかで鋭くて自意識過剰、そんな自分が大嫌いで大好きなんだろう。
強くなろうとか、なれるとか信じてた気がするけど、起こる物事は毎回違うし、反応も毎回違う。だからいちいちつらいだけ。乗り越えても乗り越えてもやっぱ強くはなってないようだ。けど、それでいいのかも。
そういう感受性だから仕方ない。諦めよう。
諦めるってマイナスな言葉に聞こえるけど、諦めはちょっと心を楽にしてくれる。諦めっていうか、受け入れって言ったほうがいいか。受容。
どうにもならないことを受け入れる。
これってここ数年のテーマだな。
そしてきっと、忘れてしまうんだろうな。この感覚も。
淋しいけれどありがたい。また他のことで悩む。
日々の生活ってそういうもんだ。
2010年09月26日
ねむる
今日は午後からずっと寝てた。
やっちゃんは、散髪に行って帰って来た。その姿を見て、髪型のことには一言も触れずまた寝た。わたしが起きると今度はやっちゃんが昼寝。今も寝てる。
久しぶりに休んだ。休日は体を休めるためにあるんだった。
今のどうにも身動きとれない生活を少し変えたいと思っている。
何の余力も残らないような日々ではね。
ここ数週間の体調。
吐き気はなくなったけど頭痛はまだ続いている。
急に寒くなったから風邪ひきそうでひかないで頑張ってる。気を抜いたらあっさりそっちへ引っ張られそうだな・・・。
だいぶ疲れてはいるけれど、人ってショックなことがあっても、結局受け入れて、次のステップに進んでいくものなんだな。答えは出るんだな。葛藤の2週間。そしてもうほとんど受容して心も変化していってる。
たくましいね。たくましく生きたいもんだね。
昨日、あの子とあの子のお母さんと話せたことも大きいな。越えて行くだろう。今までもそうだし、これからも。いけるとこまでいくだけだ。
やっちゃんは、散髪に行って帰って来た。その姿を見て、髪型のことには一言も触れずまた寝た。わたしが起きると今度はやっちゃんが昼寝。今も寝てる。
久しぶりに休んだ。休日は体を休めるためにあるんだった。
今のどうにも身動きとれない生活を少し変えたいと思っている。
何の余力も残らないような日々ではね。
ここ数週間の体調。
吐き気はなくなったけど頭痛はまだ続いている。
急に寒くなったから風邪ひきそうでひかないで頑張ってる。気を抜いたらあっさりそっちへ引っ張られそうだな・・・。
だいぶ疲れてはいるけれど、人ってショックなことがあっても、結局受け入れて、次のステップに進んでいくものなんだな。答えは出るんだな。葛藤の2週間。そしてもうほとんど受容して心も変化していってる。
たくましいね。たくましく生きたいもんだね。
昨日、あの子とあの子のお母さんと話せたことも大きいな。越えて行くだろう。今までもそうだし、これからも。いけるとこまでいくだけだ。
2010年09月25日
静かに動き出す
新しいヘルパーさんを連れ、同行1件。
退院してから、ずっとケアに入っていなくて、本当に久しぶりに会えた寝たきりのおばあちゃん。
体の硬直は悪化していた。でも、あの笑顔は健在だった。
わたしの顔を見て、すごく喜んでくれた。
入院中もわたしの名前を心の中で叫んでいたと言ってくれて、こころから嬉しかった。
会えた。やっと会えた。
そんなふうに言ってくれる人を残して、わたしはここを去ろうとしていたのか、とはっとする。
裏では、いろんなゴタゴタがあり、怒りと悔しさがこみ上げてきて、もう全て捨ててしまおうと思った、その表では、わたしを待ってくれている人がいる。これが人間界の現実で、この多面的なのが世界。
だからきっと、まるですべてがきれいで、わたしが完全に満足するということは、生きている限りないのだ。
わかってる。
ここ2週間ぐらいずっとつらかった。でも何だか視界が開けてくるような感覚。
仕事が終わってから、ボランティアで知り合った障がいを持つ女の子と待ち合わせをしてお茶をする。友達として会えるのは嬉しい。ボランティアで接しているとどうしても、仕事的側面を出さなければならないことも多いし、それだと深まりづらいことも沢山ある。
何かいろいろ語って、途中からその子のお母さんも来てくれて3人で話が盛り上がった。お母さんはわたしの母と同い年で、何だかすごく親しみが持てる。山あり谷ありを乗り越えて今の明るさがあるんだなーと感じる。
わたしもいろんなことを語った。深いティータイムとなった。
夕方、先輩ヘルパーのYちゃんから電話が来て、府中で会って話すことに。どうするどうする、と言って結局居酒屋に入って飲みつつ語った。仕事のこと、家庭のことあれやこれや、と。
「普通」とか「当たり前」の生活なんてないんだ、と思う。
それぞれがそれぞれに、与えられた環境というものがあって、そこで不満を抱えたりしつつ、変えられない現実も確かに存在する。だけど、結局わたしたちにできるのは、それを受け入れつつ、どう感じ、どう生きるかだ。選択はできる。
環境のせいにして、不幸だと思い込んで生きることもあれば、その中でどう切り開いていくかを考えて進むことだってできる。それは自由だ。
悔むこと。そこから学ぶことだって多い。
時間は帰らない。
次にも同じように悔むこともあるかもしれない。
だけどやっぱり悩んだり哀しんだりして、その場その場を生きてくってこと。それが仕事のような気がする。そしてもちろん、嬉しいことや楽しいことも、素直に感じて生きること。
人間は感情に左右されて生きてくものだ。そんなのは大人じゃないとか理性的じゃないとか言われるかもしれないけれど、だって、そういう生き物だから。そうでなければ、つまらないじゃないか。それならロボットに代わりに生きてもらったほうがずっといい。
わたしはわたしのままで生きます。
人にどう思われるかを気にして行動を変えたりしないで、わたしのこころに忠実に生きたい。自分の人生なんだからさ。
退院してから、ずっとケアに入っていなくて、本当に久しぶりに会えた寝たきりのおばあちゃん。
体の硬直は悪化していた。でも、あの笑顔は健在だった。
わたしの顔を見て、すごく喜んでくれた。
入院中もわたしの名前を心の中で叫んでいたと言ってくれて、こころから嬉しかった。
会えた。やっと会えた。
そんなふうに言ってくれる人を残して、わたしはここを去ろうとしていたのか、とはっとする。
裏では、いろんなゴタゴタがあり、怒りと悔しさがこみ上げてきて、もう全て捨ててしまおうと思った、その表では、わたしを待ってくれている人がいる。これが人間界の現実で、この多面的なのが世界。
だからきっと、まるですべてがきれいで、わたしが完全に満足するということは、生きている限りないのだ。
わかってる。
ここ2週間ぐらいずっとつらかった。でも何だか視界が開けてくるような感覚。
仕事が終わってから、ボランティアで知り合った障がいを持つ女の子と待ち合わせをしてお茶をする。友達として会えるのは嬉しい。ボランティアで接しているとどうしても、仕事的側面を出さなければならないことも多いし、それだと深まりづらいことも沢山ある。
何かいろいろ語って、途中からその子のお母さんも来てくれて3人で話が盛り上がった。お母さんはわたしの母と同い年で、何だかすごく親しみが持てる。山あり谷ありを乗り越えて今の明るさがあるんだなーと感じる。
わたしもいろんなことを語った。深いティータイムとなった。
夕方、先輩ヘルパーのYちゃんから電話が来て、府中で会って話すことに。どうするどうする、と言って結局居酒屋に入って飲みつつ語った。仕事のこと、家庭のことあれやこれや、と。
「普通」とか「当たり前」の生活なんてないんだ、と思う。
それぞれがそれぞれに、与えられた環境というものがあって、そこで不満を抱えたりしつつ、変えられない現実も確かに存在する。だけど、結局わたしたちにできるのは、それを受け入れつつ、どう感じ、どう生きるかだ。選択はできる。
環境のせいにして、不幸だと思い込んで生きることもあれば、その中でどう切り開いていくかを考えて進むことだってできる。それは自由だ。
悔むこと。そこから学ぶことだって多い。
時間は帰らない。
次にも同じように悔むこともあるかもしれない。
だけどやっぱり悩んだり哀しんだりして、その場その場を生きてくってこと。それが仕事のような気がする。そしてもちろん、嬉しいことや楽しいことも、素直に感じて生きること。
人間は感情に左右されて生きてくものだ。そんなのは大人じゃないとか理性的じゃないとか言われるかもしれないけれど、だって、そういう生き物だから。そうでなければ、つまらないじゃないか。それならロボットに代わりに生きてもらったほうがずっといい。
わたしはわたしのままで生きます。
人にどう思われるかを気にして行動を変えたりしないで、わたしのこころに忠実に生きたい。自分の人生なんだからさ。
2010年09月23日
握り初心者
利用者宅で初めて作った握り寿司がでかすぎて
「あ!ふが!ふぉおお!」ていう具合で90代のじいさんが大口開けて食べるのを見て大爆笑。
2人で大笑いしてしまった。
「わたし、初めて作ったんだ―」って言うと「初めてにしては上出来だ!ちょっと大きいがな。これからうまくなるんだ」と言ってまだ寿司と格闘していた。
しまいには入れ歯にご飯がくっついて大変。
「じゃあ、ご飯いいからマグロだけ食べなー」とわたしが言うと、おじいさん「そうだな」と言って半分齧って口をつきだしてわたしを見て「じゃあ半分食べるー?」って言って、自分で自分にウケていた。王様ゲーム??!
てか、いらねぇーよ!!(笑)
なんと平和な時間であろう。
ここの家ではアタクシ、リラックスしまくり。油断しまくりだ。だって眠くなるもの。ダメだねー。緊張感ないなー。
最近、仕事がらみでピリピリしていたから、何か少し救われたかな。
昨日の緊急ミーティング。
思わぬ人事異動。
おそろしくゴタゴタしている。
とんでもない変革の時に立ち会ってしまった。
本当にこれからやっていけるんだろうかという不安。
確実に、今の状況よりもずっとずっと大変になる。あの人が抜けるってことはそういうことだ。背負ってたものがものすごいから。てか所長だから。
不在のまま進む現場。
利用者に迷惑がかかることは目に見えている。
何か他に方法は無かったんだろうか・・・・・・・・・
つかれる
この事務所で現在仕事量NO.1のわたしだが、正直もう限界がきている。
体力面が第一だけど、その他精神的に追い詰められることがあり、疲労も倍増中。誰かをゆるせない!しんじられない!って強く思ったのは久しぶり。それもいつか受け入れて変化させていかなければならない。ここにいる以上。ここで頑張ると決めるのならば。
ただまだその決意はできていない。