2010年01月
2010年01月22日
チーズフォンデュを食べながら
今夜は、イタリア語で一緒だったマリちゃんと立川で待ち合わせをし、クワトロにチーズフォンデュを食べに行った。
そして母国語で思う存分話す。
わたしは、言おうかどうか迷っていたことがあったのだけど、話してみるとマリちゃんも実は同じ意見だったりしてスーッと楽になった。言ってみるもんだな。
年をとってから(それはいつぐらいからだろうか)わたしは何だか正直に、悩んでいる、とか、つらい、とか言い出すまでにいろいろ考えてしまうようになった。それが大人になるということかもしれないけれど、その分自分の中で消化するのに時間がかかってしまう。何かが解決するとかというのとは違うかもしれないが、人に話を聞いてもらう、というのは、自分の気持ちの確認作業でもあるし、それによって咀嚼され、飲み込みやすくさせるのは間違いないと思う。これからわたしがやろうとしているのはまさにそれだし、バッチのプラクティショナーになりたいのなら、もっと、人の話を聞けるようにならなくては、と再確認した感じ。
マリちゃんと話していて気づいたのは、わたしたちのような種類の人間は、何か目標を設定して、それに向かって頑張っている自分、が好きなのだということ。それがないと、究極に言えば、生きてる価値がない、ぐらいに思ってしまうのだ。別に人にも同じ価値観を求めないし、そんな目標なんてなくたってそれはそれでいいのだけど、「自分は」そうだ、というだけのこと。
そういえば、わたしは1年の計は元旦にありというように、毎年自分に目標を課している。そうしなければどこまでもだらけてしまう人間だからかもしれない。
何か、詰め込み過ぎなくらいいろいろ語った。お嬢様風な彼女だが意外とさばけていて、同人種だとわかって嬉しい。次は国立行こうねーっていう話になった。わたしの中では、最近、吉祥寺ブームに次いで、国立ブームが来ている。
さよならクラス
昨日はイタリア語最後の日。授業終わってから打ち上げ。何とかかんとか、いつもとは別ルート、しかも終電で帰って来た。やっちゃんが駅まで迎えに来てくれた。だいたいの人は中級クラスに進むだろう。わたしは進まない。基礎のみでいったん終了。今年はバッチで忙しくなりそうだから。論文とかもあるみたいだし。あーどうなることか。
さて、昨日のことを思い出す。やっぱり飲み会のあとは何だかどんよりだ。いつもどうしてこうなのか。酒を飲む→落ち込む。を繰り返している気がする。そんなに大はしゃぎしたわけでもなく、だけどあれこれ語って、自分より年上のオバサマ方にたしなめられていた気がする。「わかったような口聞いて!」みたいに言われたのがすごく気になっていた。笑いながらだったけど、ずっと言われていた。わたしはまだ若造なのだと痛感した夜でした。
子供の頃からそういうのがずっと嫌だった。大人が言う、今のつらさなんてたいしたことない、大人になったらもっと大変なんだ、みたいなの。そんなの子どもの私にはわからないし、現段階でそう言われてしまえば太刀打ちできない。だから早く大人になりたい、と思っていた。でも、大人になった今もやっぱり、年上にはそう言われてしまうのだな。
つーかわたしやっぱり生意気そうな口きいてるってことなのかな。子どもの頃も今も。きっとそうなのかもしれない。大人(自分より年上)の人が、そう言いたくなってしまうようなことをきっと口走ってるんだろうな。憎たらしくなるようなことを、きっと。
よく「悟ってるね」とか言われるのもそのせいだ。けど、本当は悟ってなんかなくて、ただ、痛みと戦って、そして最終的に「こう思うしかない」という到達したその思想?そんな大それたもんじゃないけど、極意?うーん、それもなんか違うな、とにかく、こうしたら少しは楽かもしれない、みたいな方法を自分に言い聞かせているだけなんだ。だから、本当は泣き笑いだ。すごく苦しみもだえつつも、発想を転換すれば・・・・・って言ってる。ばかみたい。その時点で失敗しているって気づいてない。ははー。
先生が言ってた、多くのイタリア人のように、マンジャーレカンターレアモーレみたいに、人生楽しけりゃいい、みたいなのにもなりたくないんだ、っていう言葉が心に残っている。どこかで人生を楽しむこと、を目標にしてしまうけど、本当は、苦悩もできなければまるごとの人生ではないのかも?なんて。
日本語で話して、みんなの性格が何だかわかってきたところでお別れだ。向上心ある方々に囲まれて、わたしはいろんな場面で勇気づけられてきた気がする。
Grazie e Arrivederci!
さて、昨日のことを思い出す。やっぱり飲み会のあとは何だかどんよりだ。いつもどうしてこうなのか。酒を飲む→落ち込む。を繰り返している気がする。そんなに大はしゃぎしたわけでもなく、だけどあれこれ語って、自分より年上のオバサマ方にたしなめられていた気がする。「わかったような口聞いて!」みたいに言われたのがすごく気になっていた。笑いながらだったけど、ずっと言われていた。わたしはまだ若造なのだと痛感した夜でした。
子供の頃からそういうのがずっと嫌だった。大人が言う、今のつらさなんてたいしたことない、大人になったらもっと大変なんだ、みたいなの。そんなの子どもの私にはわからないし、現段階でそう言われてしまえば太刀打ちできない。だから早く大人になりたい、と思っていた。でも、大人になった今もやっぱり、年上にはそう言われてしまうのだな。
つーかわたしやっぱり生意気そうな口きいてるってことなのかな。子どもの頃も今も。きっとそうなのかもしれない。大人(自分より年上)の人が、そう言いたくなってしまうようなことをきっと口走ってるんだろうな。憎たらしくなるようなことを、きっと。
よく「悟ってるね」とか言われるのもそのせいだ。けど、本当は悟ってなんかなくて、ただ、痛みと戦って、そして最終的に「こう思うしかない」という到達したその思想?そんな大それたもんじゃないけど、極意?うーん、それもなんか違うな、とにかく、こうしたら少しは楽かもしれない、みたいな方法を自分に言い聞かせているだけなんだ。だから、本当は泣き笑いだ。すごく苦しみもだえつつも、発想を転換すれば・・・・・って言ってる。ばかみたい。その時点で失敗しているって気づいてない。ははー。
先生が言ってた、多くのイタリア人のように、マンジャーレカンターレアモーレみたいに、人生楽しけりゃいい、みたいなのにもなりたくないんだ、っていう言葉が心に残っている。どこかで人生を楽しむこと、を目標にしてしまうけど、本当は、苦悩もできなければまるごとの人生ではないのかも?なんて。
日本語で話して、みんなの性格が何だかわかってきたところでお別れだ。向上心ある方々に囲まれて、わたしはいろんな場面で勇気づけられてきた気がする。
Grazie e Arrivederci!
2010年01月19日
夕方のニュースを見ていて思ったこと
突然だけど、わたしは「親方日の丸」という言葉が嫌いだ。
夕方のニュースを見ていてふと思ったのだ。深い意味もなく。
正直今までこんな言葉聞いたことがなかった。JALがあんなことになって初めて聞いた気がする。わたしが知らなかっただけかもしれないが。
「親方日の丸」の、一体何がそんなに嫌なのか。倒置法的なところが気に食わないのか。
では、「日の丸親方」なら満足なのか。
と考えていくと、三谷幸喜が「のどちんこ」という言葉が嫌いだ、という話を思い出す。
あれは、どう考えてもあれは「ちんこのど」ですよね?だって、ちんこのようなのどなんだから、と言っていたのだった。考えたくないが・・・逆だとすごい怖い。
わたしはたぶん、ニュースをニュースとして見ていないのだということに、今気づいた。
夕方のニュースを見ていてふと思ったのだ。深い意味もなく。
正直今までこんな言葉聞いたことがなかった。JALがあんなことになって初めて聞いた気がする。わたしが知らなかっただけかもしれないが。
「親方日の丸」の、一体何がそんなに嫌なのか。倒置法的なところが気に食わないのか。
では、「日の丸親方」なら満足なのか。
と考えていくと、三谷幸喜が「のどちんこ」という言葉が嫌いだ、という話を思い出す。
あれは、どう考えてもあれは「ちんこのど」ですよね?だって、ちんこのようなのどなんだから、と言っていたのだった。考えたくないが・・・逆だとすごい怖い。
わたしはたぶん、ニュースをニュースとして見ていないのだということに、今気づいた。
魔法の言葉
今朝はのんびり。やっちゃん今日から遅番なので。ハーブティーを飲んだり気功体操をしたりする。わたしは一人になってから、本を読みつつまた眠った。頭の左上あたりが少し痛い。それは眠ってもそんなに変化しなかった。何だろう。
そういえば昨夜は、やっちゃん帰宅後、夕飯を食べてすぐ立川に行った。オリオン書房に。突然思いついて行動するのも楽しい。札幌に住んでいた頃はよく、コーチャンフォーに行っていた。ものすごく広い書店だ。今思い出しても身震いするような夢の空間。東京のように人口密度が高くないのでゆっくりと見られる。そう、本屋はでかいだけではダメだ。人口密度がとても重要なのだ。一緒に本屋に行っても、行動はバラバラで、それぞれにそれぞれの好きな場所で過ごす。このスタイルは今も変わらない。
昨日、ノルテで本の海を泳ぎまわっている時に、ふと思った。何か問題に突き当たった時、わたしはいつも本を買いあさった。本で何もかもが解決するというわけではないのに。だけど、何よりもそこにすがっていたような気がする。たぶんそれは「言葉」。状況がどうであれ、そこに書かれた魔法の言葉を探していたのだと思う。視点を大きく変えるような言葉を。そう考えるとわたしは、ずっと、状況そのものよりも認識が大事である、と気づいていたのかもしれないな、と今思う。