2009年07月
2009年07月27日
小麦粉日和
朝ごはんにクイックブレッドをフライパンで焼き、
昨日、葉々屋で買って食べたレモンスコーンがあまりに美味しかったので、真似をしてマーマレードでオレンジスコーンを焼き、
ふんわりリッチなホテルブレッドを焼いた。
このクソ暑いのに・・・である。
さっき、ヒロリンが北海道みやげ(六花亭バターサンドとさきいか)を取りに来て、ついでにオレンジスコーンも渡し、車の中で甥っこが寝てるというので、アイスミルクティを急いで飲みほして帰って行った(笑)
六花亭はだいぶ融けてるんだろうな。
さて、今夜は何を食べよう。夫は遅番なので一人分。
ごはんを炊こうか、麺類にしようか、悩むところである。
それにしても暑い!!
その道を通って
札幌ドームで一緒にロッテを応援していたメンバーの1人であるAちゃんが5月に亡くなっていたことを今日知った。一緒に応援したり、お酒を飲んだり、いろんなことを話したり、悩みを聞いたり、ちょっと揉めたり(笑)・・・今思えばいろいろあったのだ。私が東京に引っ越してからはAちゃんも仕事で忙しかったり、体調が悪かったりしてだんだんと疎遠になってしまった。私もロッテの試合で球場に足を運ぶ回数が減ってしまったのもある。
彼女は、自由奔放で危なっかしいところがあった。感情の不安定さがあり、そして純粋で、人を信頼し、まっすぐだった。要するに人間らしく生きたひとだ。沢山傷ついたんだろうなと思う。切なかったり孤独だったこともあったろうと思う。だけど最後まで生きることに熱心だったと思う。私のブログのどこかに彼女が書いたコメントが残っている。そこに彼女の夢が書かれていたから。
人のいのちというのは約束されたものではないのだと改めて思い知る。若いからといって「死なない」わけではないのだ。人それぞれにある、いのち、それにどう思いをこめて、どう集中して生きられるか、なんだ。本当にそれだけなのだと思う。
私もよく、思うけれど、確かに、死というものは残された者の概念なのかなーと。
不思議だよね。誰しもがいつか通る道だけど、誰もはっきりしたことはわからないんだから。
お互い、生きれるところまで、生きよう。
たぶん、そうすることだけが私たちがすべきことの気がする。
これが私が彼女にかけた最後の言葉になってしまった・・・。
とうとう、その道を通り、彼女はあちら側へといってしまった。
肉体という不自由な入れ物を抜け出し、本当の自由を掴んだのかな?
今日はAちゃんのために、お香を焚く。
その静かな世界に届くようにと。