2009年06月
2009年06月30日
2009年06月29日
豆乳スープその他
午前中に、ブロッコリとにんにくの豆乳スープを作ってミキサーにかけた瞬間に中身がぶっ飛んだ。豆乳とブロッコリとにんにくがあちこちに飛び散って、当然手にもかかって顔にも少しかかって、やけどすれすれだった。カーテンにはまるで嘔吐したかのような痕。それは洗濯した。床も拭く。
ジェイミーが言っていたのはこういうことだったか!とやっと気づいた。シンプルクッキングかラブリーダイニングかなんかでジェイミーはいつも、ミキサーにかけるときに「沢山入れないで」とか「僕は、何度も中身をぶちまけたり、やけどをしたりしたんだよ」と言っていて、ジェイミーは豪快だからなーと思っていたんだった、私は。
夫が起きて来ても、何だかこの話をする気になれず言わないでおいた。だって、あまりに惨めすぎるもの。
午後、遅番の夫と一緒に家を出た。郵便局と市役所で用事を足す。そのあとジムへ。ランニングと筋トレ。今のところ順調に減量中。ここ何年かで十数キロ太った(よくもそんなに太れるものだ!と自分に腹立つけど)分を少しずつ返していく感じ。身体を鍛える中でいろんな気づきがあったんだけど、それはここでは書かない。とある場所には書いた。
風呂に入って帰ったんだけど、家に着いても身体からジム臭(塩素と安いボディーソープとかが交ざったような)がして、またシャワーを浴びた。
私は子どもの頃、人と人は心を開いて真摯に話せば必ずわかりあえる、と思っていた。どんなに意見が違う相手でもそれは一理あるね、とかそういう考えもあるかーとか、少しずつ受け入れつつ器が広がっていくような、そんなことを想像していた。けれど、世の中には、いくら話しても理解しない人というのがいる。どんなに言葉を重ねてもすれ違い、誤解しあい、悪意に受け止めたりして、かけ違えたボタンはいったんすべて外すことはできず、ずっと段違いのまま進んでいくのだと気づいた。それは哀しいと同時に、何か、もうこれでいいのだ、と思う自由さをも感じた。どんなに頑張ったところで、誰かの視点にはなれない。たとえ誰かの肉体に私の精神が入ったとしても、それは私の視点ということになってしまう。その人ではない。それぞれがそれぞれの視点で生きて、世界を見ているのだから、世界はその人の目を通してしか在り得ず、その視点が見るものが真実だ。いくらそれは○ではなく●です、と言ったところで、その人には○に見えているんだから、それを事実でないと誰が言えよう。
何かもう、そういうことを諦めた。諦めたというとネガティブに聞こえるけれど、そう思うようになって何かが吹っ切れた気がする。そして、いつも私と似た感覚で何かを感じ取ってくれる人がいるということをとても有り難く思う。細部は違ってもベースは一緒というか、「わかる!」というポイントが同じだったりすると安心する。根本的に、それぞれの視点で生きている、それぞれが全く違う、ということを理解すればするほど、その一致が奇跡のように嬉しくてたまらない。
ジェイミーが言っていたのはこういうことだったか!とやっと気づいた。シンプルクッキングかラブリーダイニングかなんかでジェイミーはいつも、ミキサーにかけるときに「沢山入れないで」とか「僕は、何度も中身をぶちまけたり、やけどをしたりしたんだよ」と言っていて、ジェイミーは豪快だからなーと思っていたんだった、私は。
夫が起きて来ても、何だかこの話をする気になれず言わないでおいた。だって、あまりに惨めすぎるもの。
午後、遅番の夫と一緒に家を出た。郵便局と市役所で用事を足す。そのあとジムへ。ランニングと筋トレ。今のところ順調に減量中。ここ何年かで十数キロ太った(よくもそんなに太れるものだ!と自分に腹立つけど)分を少しずつ返していく感じ。身体を鍛える中でいろんな気づきがあったんだけど、それはここでは書かない。とある場所には書いた。
風呂に入って帰ったんだけど、家に着いても身体からジム臭(塩素と安いボディーソープとかが交ざったような)がして、またシャワーを浴びた。
私は子どもの頃、人と人は心を開いて真摯に話せば必ずわかりあえる、と思っていた。どんなに意見が違う相手でもそれは一理あるね、とかそういう考えもあるかーとか、少しずつ受け入れつつ器が広がっていくような、そんなことを想像していた。けれど、世の中には、いくら話しても理解しない人というのがいる。どんなに言葉を重ねてもすれ違い、誤解しあい、悪意に受け止めたりして、かけ違えたボタンはいったんすべて外すことはできず、ずっと段違いのまま進んでいくのだと気づいた。それは哀しいと同時に、何か、もうこれでいいのだ、と思う自由さをも感じた。どんなに頑張ったところで、誰かの視点にはなれない。たとえ誰かの肉体に私の精神が入ったとしても、それは私の視点ということになってしまう。その人ではない。それぞれがそれぞれの視点で生きて、世界を見ているのだから、世界はその人の目を通してしか在り得ず、その視点が見るものが真実だ。いくらそれは○ではなく●です、と言ったところで、その人には○に見えているんだから、それを事実でないと誰が言えよう。
何かもう、そういうことを諦めた。諦めたというとネガティブに聞こえるけれど、そう思うようになって何かが吹っ切れた気がする。そして、いつも私と似た感覚で何かを感じ取ってくれる人がいるということをとても有り難く思う。細部は違ってもベースは一緒というか、「わかる!」というポイントが同じだったりすると安心する。根本的に、それぞれの視点で生きている、それぞれが全く違う、ということを理解すればするほど、その一致が奇跡のように嬉しくてたまらない。
2009年06月28日
2009年06月27日
ハードブレッド
はじめてハードブレッドを焼いた。ちょっと全粒粉パンっぽくしたくてオールブランを少し混ぜ込んでみた。昼ごはんに焼き立てをすぐ食べる。歯ごたえがあって、味も良く出来た!
こりゃーいいや。いつも作ってるパン以上に旨みを感じる。粉があってるのかな?ちなみに強力粉はイーグル、薄力粉はごくフツーのスーパーで売ってるやつ。小麦粉がそろそろ無くなりそうなので、またcuocaに注文しよっかなー。余計なものまで買ってしまいそうなのがアレだけど・・・
前回は伊勢丹の地下で買ったんだけど、結構な重さになるので持って帰るのが大変だし。