2008年03月

2008年03月31日

風薫る日のマスタード戦略

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 東京に戻ってからずっと部屋にこもりっきりだったことをふと、思い出したかのように、夕方もう4時も過ぎるかという時間に外に出た。本来ならば、スーパーで、それこそ酢だとかマーガリンだとかそろそろ無くなるものを買おうと思っていたのだけれど、何だか歩く方角が違う。意外と風が冷たくて、なんだ、もういっそ真夏になってしまえばいいのに!とやけになってきて、ポケットに手をつっこんで歩いた。夫が働いているビルの前も通り越し、かつてわたしが働いていた会社、クビになったあの会社の近くまで来た。クビなのに年賀状までくれて「近くに来たら顔出してください」とか書いていた。この間などは電話が来て、何かと思えばちょっとしたバイトのお誘いだった。もちろん断ったけど。そこからすぐ駅ビルへと向かう。アートマンのキッチン用品売り場へ。見てると次から次へと必要なもののような気がしてくる。瞬きが少なくなるほど凝視したせいか目が痛くなって来た。結局さかなの形をしたスポンジを購入。化粧品売り場で、髪の毛用香水というものが並んでいて、お試し用があった。なんだか気になり髪の毛にしゅっしゅとスプレイしてみる。「すれ違ったときにさわやかに香ります」という、いやらしい能書きがあった。そういえば、中学生の頃は、「すれ違っていい匂い」に憧れていた。その頃は、こんな「すれ違っていい匂い」だなんていう、さりげないアピールのように見せかけておきながら実はかなり計画的な商品がそれほどない時代だった。だから、いかに普通のシャンプーでいい匂いをさせるかということが勝負だったのだ。オーデコロンとかになると、いかにもつけていますよ、男子を誘っていますよ、という恥じらいのない香りになってしまうものだから使うことを躊躇した。しかし今思えば、狙っていないかのような、そのさりげない香りをかもし出そうとする神経のほうがずっといやらしいと思う。
 それからわたしは、香りを風に乗せながら本屋に行って池田晶子の本を2冊買った。この人の話は痛快で、遠慮や隠し事がなくズバリとくるのでひやひやすることさえある。彼女の思考を借りれば少しは強く生きられそうな気がする。帯にも「悩むな!」と赤字で書いてあったし。
 あまりにいろんなものを凝視しすぎてこめかみが痛くなってきた。おなかもすいてきた。6時が近くなってきて、少し迷ったけれど「モス」で夕飯を買って帰ることにした。夫は新宿で会社の送別会に参加だし、まあたまには1人でジャンクフードもいいのかもしれない。モスでチキンナゲットを頼むとき、しっかりと「マスタードで」と言っているつもりなのに、帰ってきて袋を開けたら何故か「バーベキューソース」が入っているということが2度ほどあった。わたしの発音が悪いのか、店員の覚えが悪いのかは定かではない。そして今回はスカを食らいたくない。なので普段とは違う戦法で攻めてみようかと思い立った。注文のときにいつもなら「チキンナゲットのマスタード」と言うところだが、今回に限っては「チキンナゲット」しか言わないと決めた。すると当然店員は「ソースは?」と尋ねて来る。そこでわたしはゆっくりとそしてはっきりと「マスタードで!」と強調するのだ。店員は「マスタードですね」としっかり発音してレジの画面を叩いた。出来上がるまで店内で少し待つ。お店の中には10代と思われる女の子が2人いて、向き合ってモスを食いながら恋愛話をしている。すごく楽しそうだ。その風景がなんだか、とっても懐かしいような気分になってくる。友達と会ってお互い言いたいことがいっぱいで、時間なんてあっという間に過ぎちゃって、また明日学校でー!って、そんな日々があったのだ。その頃は、まるでそんな日々が永遠に続くかのように錯覚していた気がする。そしてその錯覚しているということも認識していた。だから何だかいつも「今を大事に。この時間を大切に。」って思って、短い時間にあれやこれやを詰め込み過ぎた感もあるけれど。後悔しないように、と思ってやりすぎてしまったような。
 モスがしっかり出来上がって、それを持ってバスに乗り込む。バスの中はモスの匂いが充満。わたしの髪の毛の匂いも微かに混じっているかもしれないが、圧倒的にポテトが充満。家に帰ってさてさて、今回のソースは間違ってはいないだろうなーと開けてみる。ちゃんと黄色いソースが入っていた。

at 18:39|PermalinkComments(2)日々 

2008年03月28日

『ソクラテスの弁明』/プラトン

 アテナイ人諸君、わたしは何かを書こうと思ってパソコンの前に座るのだけど、はて一体何を書こうとしていたのか。いったん諦めてテレビを見たり、ソファで本を読んでいるときに限ってむくむくと湧きあがってくる書きたい想い。特別なことがあったわけではない。先日の帰省中、飛行機の中とか実家のシングルベッドで眠る寸前とか、そういうときにプラトンの『ソクラテスの弁明』を読んでいた。今日『クリトン』も読み終わった。古代ギリシャ、アテナイ(今のアテネ)、ソクラテスが<在った>時代は紀元前470年から399年。よくもこんなに大昔のはなしを。
 ソクラテスには著作はなく、彼に多大なる影響を受けたプラトンがソクラテスに関する作品を沢山遺している。ソクラテスはアテナイ人と語り合い、ただ生きるのではなく、善く生きることを説きつづけた。70歳のときに、神々に対する不敬、若者たちを毒する者、として死刑宣告を受ける。弟子たちの必死の説得にも関らず、毒杯をあおって死亡した。ソクラテスが「死」を恐れなかったのは、「死」とは何か知らなかったからだ。
 死を引き止める者に対して、じゃあ、君は「死」が何だか知っているかい?とくる。知らない、と答える。知らないものを恐れるということは、知らないものを知っていると思っていることに他ならないのだ。知らないのに知っているかのように言うのは正しくない、と言う。

『ソクラテスの弁明』の中で、わたしが印象深かったのは、このへんだった↓

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しかし諸君は、たぶん、眠りかけているところを起こされた
人たちのように腹を立てて、アニュトスの言にしたがい、
わたしを叩いて、軽々に殺してしまうでしょう。
そしてそれからの一生を眠り続けることになるでしょう。
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 叱ってくれたり、助言をしてくれる人というのは、時に腹立たしい存在になるけれど、それは眠っていた魂をごんごんと揺さぶり起こしているからなのだなーと思う。わたしも起こされたことが何度かあった。そして、身に起こるつらい経験なんかもそれにあたるのだと勝手に思うのだった。スピリチュアル方面で、この、魂が起こされるときの不快な感じのはなしをどこかでしたことがあったなーと思い出した。
 
 知らないことを知っているふりするのはやめようと思う。けれど、知らないものは知らないとわかることというのは、思った以上に難しい。だって「目に見えないこと」は、やはり不安だし、無条件に畏怖の念を感じてしまうもの。
 それにしても、今も昔も人間というのは、「生きること」「死ぬこと」を考えずにはいられないのだな。その<存在>とはいったい何であるか。宇宙の果ての果てはどこにあるのか。そもそも在るのか。無なのか。例えば、自分自身の見る夢のように、<わたし>という存在がパッと消えてしまえば、その視点の先にあった世界全てが<無>であるという想像をして怖くなることがある。肉体がないのに思考だけ残るということも考えるし、一瞬にして<無>が訪れて、肉体(物質)も精神も何もなくなるということも考える。意識というものがない状態、全くの<無>という状態を想像すると思わず息を止めてしまう。ああ、人間存在の根本を考えていると、日々の些細なひっかかりは、まるく、ヤスリをかけられたようにすべすべしてくる。夜空の星(何万光年前のひかり)を眺めているときのような気分だ。ひかり。光。銀杏の曲。太田さんの名前。ひかり。良い響き。

at 20:47|PermalinkComments(0) 

2008年03月27日

『ソラニン』/浅野いにお

 『ソラニン』/浅野いにお(小学館)を読んだ。
 ここ十数年、漫画を読まなくなって、かつて、いくえみ稜とか紡たくとか、女の子の恋と失恋みたいな、そういうのに夢中になっていたっていうことも忘れて過ごしていた、ここ最近は。
 浅野いにおの作品を読んでみようというきっかけになったのが、雑誌『』での峯田との対談で、さらに夫がこの人の漫画を愛読していたことで繋がった。最近、気になる物、ヒトが繋がっていく傾向にある。
 リンクしてくたびに鳥肌が立つような心地。それで今回、実家に帰ったので夫の書斎(?)からこの本を持って帰ってきたというわけだ。
 近ごろは年をとったせいか、共感できない青春ものも数多くあるのだけれども、この青くて、だけどもこの先はこのまま続くってわけじゃないんだよな、っていうこともどこかでわかっていて、それでも、今少しのあいだだけはこのままでいさせて、というようないわゆるモラトリアム時期の男の子、女の子の話は、わたしのこころを揺らした。
 この道を通ったことがあるのだという実感がある。これってみんなあるのかなー?その頃のわたしには、周りの友達が迷いもなく堂々と、自分の道、やるべき職業だったりをしっかり見極めて進んでいたように思えていたんだ。
 主人公芽衣子、と同棲している彼氏の種田、恋愛とか友達とかバンドとか、夢だったり、だけどすべてそれにかけて突進できない勇気のなさだったり、そうは言っても何年か経ったらフツーに疲れたサラリーマンになってんだろうなーっていう予想だったり、だけれども、この今の生活、こうして好きな人、友達と一緒にいられること、そこで笑っていること、そういうのがすんごく幸せなことなんだよなぁーって気づく瞬間があって、それなのに、やっぱりこんな平凡と思われた幸せ、それすらも維持していくことは楽なことではないのだと気づかされる出来事が起こってしまう・・・。ここを乗り越えて、絶対に戻れない過去を何度も思い出して、ちょっとずつ、それも気づかないうちに、大人になっていく、なってしまうんだろうな。銀杏の歌とリンクするような世界だった。あーこれは繋がるのわかるわー。同じ世界の住人、また発見。

at 21:15|PermalinkComments(0) 

2008年03月26日

空港

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おんなじ場所なのに
着いたときはわくわくして
帰るときはちょっぴり淋しい

at 16:38|PermalinkComments(0)お出かけ 

2008年03月25日

豪華ディナー

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我が家のネコちゃんたち、お食事中です。
あ、ひとりカメラ目線。

at 16:28|PermalinkComments(0)日々